生米プロジェクト

会社退職→結婚→夫は日本に置いてヨーロッパに8ヶ月→夫と東京生活→2人でイギリスに引越し

2020年振り返り

世界中の誰もが皆きっとそうだったように、2020年は大変な1年だったと思います。でも一個人として考えれば、悪い1年ではなかったなと。何より娘が生まれてきてくれたし、家族全員元気だったし。ただ、イベントごとが本当に何もなくて、進捗らしい進捗もなく、退屈というか我慢の1年だった、というところです。二児の母としては、育児に退屈させられることはなかったですが。以下2020年振り返り。

1. もちろんコロナ

アジアのコロナ騒ぎから一足遅れて欧州も大変なことに。産後のヘルプでイギリスに来てくれていた母は、日本がコロナで大変な頃に渡英してきて、イギリスがロックダウンに入る直前に絶妙なタイミングで帰国できたのでよかったです。タイミングが少しずれていたら、来ることも帰ることもできなかったろうし。

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夫は3月から今に至るまでずっと在宅勤務になりました。彼が逐次ニュースをチェックして情報を伝えてくれるコロナおじさんになってくれているのもあり、私はコロナの話題にも疲れてきているので、あんまりこれについて強い気持ちも関心もなくなっているというのが本当のところですが。スーパーは最初こそ物もなくなったけど、ひと月もしないうちに元に戻ったように思うし、今は混乱もないので淡々と生活しています。イギリスはブレグジットや新型コロナなどでニュースを騒がせているけれど、人間は何にでも慣れてしまうのです。

2. 娘の誕生&2歳児の息子との日々

第二子として1月に待望の娘が誕生。とてもとてもうれしかったです。今のところ今も毎日かわいいし、2人目で勝手もわかっているので手を抜いていたら、本当に全く手のかからない子に育ってくれました。寝かしつけもいらないし、よっぽどじゃないと泣かないし、兄がいるからか後追いもなく落ち着いていてご機嫌に遊んでくれているからとても助かっています。

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ただ春頃には保育園も閉鎖してしまい、赤子とイヤイヤ期絶頂の2歳児との生活は本当にしんどかったです。夫が在宅勤務になり、今でこそ助かっているものの当初はお昼の準備の勝手が変わったりして気を遣ったり、公園とスーパーしか行くところもなく、公園は誰もおらず、どうしようもなかったです。あまりに無茶苦茶な息子についに手を出しそうになってしまったりして、これはダメだなと思ってその日は夫に息子を丸投げしたこともありました。でもこのおかげで落ち着きを取り戻せたように思います。

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期を同じくして息子が2歳3、4ヶ月頃からイヤイヤ期も少しずつ収まり始め、言葉もほぼ発しなかったのがスムーズにコミュニケーションが取れるようになり、随分接しやすくなりました。伝えたいことが伝わらなかったのもあってイライラしていたのかなと思います。イヤイヤの最中にあっても、娘が生まれてからずっと一貫して優しい兄であった息子。今ではなんでこんなにいい子なんだ!?というほど素敵な子です。このまま育ってほしい。

 

 

3. 学業関連

修論も妊婦だからと締め切りを延ばしてもらい、2019年12月までかかって書いたのですが、滑り込みで同級生と一緒に2月の卒業式に出席できました。出産ヘルプで母がイギリスに来ていてくれていたので、タイミングよく一緒に出てもらえたのと、イギリスらしく厳かな感じだったのでとても良かったです。修論の成績が78点だったので、Distinctionでの修士号 も取得できたのは久々に自信になりました。

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夫が超協力的だから成り立っている学業ですが、それでも家事育児との両立は大変で、例えば娘は早朝に生まれたけど、その出産前夜21時頃まで博士課程の出願準備をしていました。妊娠中に修論も書いていたし、保育園も息子が週2日行くだけなので、だいたい早寝早起きで朝少し取り組むだけでした。

当初は2020年度秋入学で博士課程を開始したかったのですが、修論を書きながら育児しながら妊娠出産しながらでは思うように準備も進まず、また力不足で奨学金も獲得できず、コロナもあったので思い切って2021年度入学を目指してもう1度頑張ることに決めました。これについて、指導教官の探し方やコミュニケーションの取り方に関してはいろいろと苦しんだので、全部終わったら振り返ろうと思います。とはいえ出願した修士課程の母校の博士課程は入学許可をもらって2021年度にDeferralできたので、少しだけ収穫もありました。

2020年度進学を断念した後は、次年度の出願が少しでもうまく進められるようにと、夏にオンラインでしたが一応国際学会で発表もしました。そしてそのまま秋は奨学金申請、その後も出願作業と、延期したわりには結局全然ゆっくりする間もなく今に至っています。むしろ、時間が足りないぐらい。現時点で何も結果は出ていないし、ダメだったときどうするのかはわからないのですが、今はひたすら自分のできることをやるしかないかなというところです。がんばる。

 

 

みんな元気に、よいお年を。

うれしかったこと(コロナと、育児と)

昨年末にブログを書いて以来だったけれど、その後2020年1月娘が誕生しました。めちゃくちゃかわいいです。上の子の赤ちゃん返りを警戒したりもしていたけれど、そんな心配をよそに、生まれた瞬間から息子は超いいお兄ちゃんになってくれています。毎日毎日甲斐甲斐しく世話を焼いて、娘の手のミルクとよだれのにおいを嗅ぎ、恍惚の表情を浮かべています。どうしても娘の相手をしていて息子に手が回らないときもあったりして、ときどき息子がイライラしてしまうこともあるけれど、そのイライラは娘にではなくちゃんと親に来るところが、とてもえらいなと思う。最近は娘も生後6ヶ月を過ぎ、反応も増えてきたので、二人で笑ったりするところもかわいい。娘も息子と同じでよく寝る子なので、また私は楽をさせてもらっています。

 

それで今日うれしかったこと。今も息子は週に2回大学の保育園に行っていて、今朝もまた送っていったところでした。息子にバイバイして帰ろうかというときに、どこかで見たことのあるような顔のお母さん。向こうの視線も感じ、あれ?と思って、「あなた、どこかで会ったことあるよね?」と聞いたら、なんと息子の出産直前に妊婦健診で会ったお母さんでした!私より随分若い、スロベニア出身のブリストル大学のサイエンス系の学部生で、そのときは「私も産後はマスターで勉強しようと思ってるんだよね」なんて話を少しして、頑張ろうねと別れたのでした。でも正直、その子のパートナーは遠距離でスロベニアにいるというし、産後は家族と子育てのために1年休学してスロベニアで育児をして、その後生まれた子とパートナーとブリストルに戻ってくるということでした。でも失礼ながら私はその話を聞いて、”遠距離で妊娠して、パートナーも母国にいるなんて、スロベニアって多分イギリスほど豊かでないし、ママ学生なんて理解もないかもしれないし、きっとこの子は学業を諦めることになるんじゃないかな” なんて勝手に思ってしまっていました。でも、ちゃんとその子は学校に戻って、今では生まれた子も保育園で息子と同じクラスにいて。学士課程はこの夏修了して、秋から修士課程に進むそうです。そんな話を聞いて、まだまだ自分もネガティブな思い込みにとらわれているなと少し反省し、そして自分のペースで前に進む人に会えたことで、朝からとてもうれしい気持ちになりました。

 

 

2019年(ついでに2018年も)振り返り

年の瀬ということで、ブログを書くことにしました。とても久々のブログになってしまって、最後はいつどんな記事を書いていたのかなと思ったら、2018年1月20日でした。これはもう2年も前!ちょうど東京からイギリスに引っ越してきたときの話でした。

読んでみたら、めちゃくちゃブルーな話!ヨーロッパから帰ってきて、東京生活を初めて、妊婦になって、そのまま渡英して…という頃だったんですが、初めての妊娠生活、切迫早産、無職というわけでどうしたらいいかわからなくなって、そんな不安や焦りを抱えたままイギリス生活を始めたときでした。

それからというもの。そのブログを超くらーーーーーーい気持ちで書いた直後から、生活は目まぐるしく変わり、今では当時から想像もつかないような日々を送っています。簡単にいうと、とても楽しい。

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Pen museum @ Birmingham

以下、時系列にて。

2018年1月末 ブリストル大学修士課程出願決意

日本一時帰国〜再渡欧はブログの通りずっと鬱々としていたのですが、その数日後夫から、「産後はイギリスで何するの?」なんて質問をされて。元々私の進学希望をきっかけに始まった海外生活でしたが、妊娠したということもあり、私は当然のようにしばらくは育児じゃないの?と考えていました。ところが、夫のそんな一言をきっかけに、近所のブリストル大学について調べてみたところ悪くない大学で、通ってみるのもいいかなということで、バタバタと大きなお腹でIELTSを受験したり推薦状を揃えたりと、エイっとダメ元出願したのでした。

8ヶ月のヨーロッパ滞在の中で、デンマークの先進的な教育にとても刺激を受け、いろいろ見てやってみた中で、教育関係が一番疑問や関心が沸いてくるなと思い、教育学部の中の、Education (Learning, Technology, Society)という教育工学みたいなものを学ぶコースにしました。でもこの時は、高い学費を払うのに、こんな適当な感じで大学や専攻を決めてもいいのか、育児だってどうなるかわからないのに、と踏み出しづらかったのですが、またしても夫に「案外やってみたら面白かったとかあるかもよ。それで面白くなかったらまあそうかでいいし。育児が落ち着いたら、なんていうのも先のことはわからないし、合格してから考えたらいいし、今できることをやったらいいじゃん」と軽く言われ、正直なところ完全に腑に落ちることなく出願作業に入りました。

2018年2月末 同大学院教育学部出願→出産直前に入学許可

2018年3月中旬 息子出産

すごくスポーンと元気に生まれてくれました。あまりにあっけなかったので、もう終わり?という感じで。結構寝てくれる子で、生後1ヶ月からは夜通しぐっすりだったので、私もとても楽でした。育児が始まって、冬も終わり、息子はかわいいし、やることができたので、私もあんまり悩むことなく気持ちも上向いていきました。 

2018年9月末 大学院生活開始

育児はそんなに大変ではなかったとはいえ、勉強との両立への不安、全くバックグラウンドの違う教育学、久々の大学生活ということで、開始前日までやるべきかどうか悩んでいました。始まってからも、どうせやるならということできちんと頑張りはしたものの、学費支払い期限(が過ぎて最終督促)ギリギリまで学費も払う気になりませんでした。往生際がとても悪かったです。でも、勉強自体はとても楽しいものでした。

2018年秋〜19年冬 体調不良が続く

大学院が始まるのと時期を同じくして、息子は生後半年から保育園に行き、夜泣きが始まりました。この頃から私は2、3週間置きに風邪を引き発熱するようになり、常に解熱剤を飲みつつ勉強か家事育児か床に伏すという日々となりました。。それまでこんなに体調を崩したことがなかったので、きっと自分は免疫系の病気か何かに違いない、とGPで血液検査もしてもらったのですが、結局異常なし。お医者さん曰く、おそらく産後の育児学業による睡眠不足、ストレス、疲労、免疫低下したところに息子が保育園からウイルスを持って帰ってきて、結果体調不良となっているのだろうということでした。息子はほぼ元気だったんですが、それでもウイルスを持って帰ってきてはいるみたいです。そんなことを言われ、よく考えてみたら産後夜起きるようになって、あんまり深く眠れていないというか、過敏になっていたかもなと思い、夫に息子と寝てもらうようにしてからというもの春の訪れとともにこの体調不良は嘘のようになくなりました。睡眠大事!!

2018年3月末 大学院の授業終了

そんなこんなであっという間に授業は全て終わり。ここから修士論文に取り掛かることに。少し余裕ができ、息子も保育園を週3日に減らしつつ、マイペースに取り組んでいました。

2019年5月 第二子妊娠判明&修士論文執筆

と思っていたら妊娠!今回のつわりもそんなにひどくはなかったもののやや吐き気が多く、 冬場の体調不良もあり、無理はしない!と早々に決断。あっさり締切延長(エクステンション)申請。昔はもっと全部ちゃんとしないと、とか思っていたように思うけど、30代になったからか諦めと余裕が出てきて、使えるものは全部使って、とりあえずできたらよし!という心持ちに変わっている気がします。それでもまだこんな風に考えるだけ日本人らしいなと思うのは、蓋を開けてみたら結構少なくない数の同級生も多少のエクステンションをもらっていたこと。笑

2019年10月 日本一時帰国

本来は9月上旬に修論を済ませ、のんびり帰国としたかったんですが、修論やらその他作業を持ち越しでの帰省。家族や友達と会ったりしたら3週間なんてすぐでした。1年10ヶ月ぶりに、日本食のおいしさに浸りました。。どこへ行くときもそうですが、息子が本当に楽しそうでした。いつも彼は1番楽しんでる。

2019年12月末 修士論文提出!

つい先日!クリスマス直前に提出しました。ドラフト段階で指導教官から少なくともパスはすると言われているので、卒業はできると思います。 論文は、大変だったり面倒だったり気乗りしないときもあったけれど、思ったより楽しく取り組めたかなと思います。つらいとか愚痴みたいなのはなかったのがよかったです。

あとは、お恥ずかしいことに10月に日本から帰国して初めて勉強と家事育児のいい具合のバランスが見つかりました。帰国後はもう修論もない予定だったので保育園を週2日にしていたのですが、実際はまだ最終追い込みがあったので、息子がいる中でどうやって両立させよう??ということでした。ここで、どういうわけか時差ボケのため早寝早起き習慣ができ、そのままこれを結局2ヶ月ほど続けることとなりました。おかげで保育園のない日も、早朝&午後の昼寝の時間(毎日3.5時間も寝る)に取り組むことができ、いいリズムができました。むしろ、1日中漫然とやっているよりメリハリがついて、どうして今までこれができなかったんだろうというぐらい。。自分にも合っているみたいで、修論が終わってからもこの早寝早起きは続いています。

 

振り返って思うこと

進学することになった時はどうなることかと思ったけれど、今はやってみて本当によかったなと感じています。勉強は思ったよりうまくいって、いい時間を過ごせました。同じ学部に他にも高齢学生や子持ち学生(日本人ママ学生も2人!)いて、そういう人たちを目の当たりにすることで、自分もできるはずと思えたし、先生たちもとても自然にサポートしてくれたので、居心地が良かったです。友達との時間は削ったし、確かに時間はなかったけど、独身だったとしたら昼まで寝てたかもしれないし、もっとだらだらしていたかなと同級生を見て思いました。

とはいえ、それもこれも、夫のサポートのおかげです。本当によくできた夫で、家事育児もとても積極的で、あと気楽に過ごせたのが、無理しない!手抜き!というのを許容してくれているところです。このおかげでどれだけ安心して過ごせたか。。息子もとーちゃん大好きで、お出かけ準備や面倒を見るのなんかも問題なくできるし、本当に、唯一できない(させていない)ことと言えば手先の器用さということで爪切りぐらい。笑

息子はよく寝てよく食べよく笑ういい子で、これも親としてはとっても楽に過ごせました。

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なので二人にはとても感謝!!とてもいい1年、2年でした!

今後について

2020年はまた始まってみないとどうなるかなんとも言えないところではあるのですが、ひとつは1月末に第二子出産予定でもう臨月なので、まずはそれに向けてちゃんと準備しないとなというところです。それが終わったら、奨学金次第ですが博士課程に進みたいと考えています。当初は修士が終わったらEdTech企業や文化施設などで働くのがいいかなと思っていたのですが、勉強してみたら思ったより面白く、うまくいったので、このまま進みたいなと思うようになりました。本当に夫の言った通りで、やってみたら案外よかったなというところです。なので、出産ギリギリまで、できるところまで出願準備等々にあたる予定です。

進学についてはまだどうなるかわからないけれど、修士は1年に凝縮されていたので夫には随分家事育児でフォローしてもらったので、2020年はもう少し妻業母業のレベルアップをして、効率よくやりたいなと思っています。

 

ヨーロッパから帰国してまたヨーロッパに旅立つまでの話

6月に帰国してからというもの、随分とこの更新まで間が空いてしまいました。人生最大級の暇人期を過ごしていたにも関わらず、書きたい気持ちになりませんでした。それはめんどくさかったからということに尽きるのですが、いろんなことに整理がつかず、自分の現況を書き綴るほどさえの自尊心も湧かない、自己嫌悪感に満ちて鬱々とした気分だったというのが1番だったように思います。

 

結婚後に夫を置いて8ヶ月、身勝手ながらにヨーロッパのいくつかの国に滞在し、ボランティアやインターンをして過ごしていた私は、その後は転職も決まった夫の住む東京に帰ることにしました。夫は日系企業のイギリス支社勤務前提で転職したため、試用期間が終わればビザ申請し、秋〜冬には渡英することになっていました。

なので、半年程度しか日本にいない予定でしたが、東京にいる間に少し働いたり勉強したりして、渡英後に備える期間にしたいと考えていたのですが、、そう上手くはいきませんでした。

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日本帰国〜出国までの日々

2017. 6  フィリピンで語学留学していた転職前の夫に合流、一緒に帰国

2017. 7  1Kの夫の家に居候していたため、新居に引っ越し

      (引っ越し作業中、体調に異変を感じてていたら、妊娠判明)

2017. 7-8 切迫流産のような状況になり、医師より全家事放棄&ベッド上安静指示

2017. 9-12  安定期に入り外出し始めるも、ほぼ何もしないで過ごす

      2017. 11  渡英ビザ申請、引っ越し手続き開始

      2017. 12  日本出国

 

こんな感じでした。

思いがけず妊娠経過に問題があり、人生初と言っていいほど何もしない日々を過ごし、安静解除してからもそのままズルズルとほんとにほとんど何にもしませんでした。晩ごはんを作るぐらい。ほんとに産めるのかなと不安になり、欠陥品のような惨めな気持ちになり。後で振り返ったら無駄な時間過ぎて嫌になるんだろうなと考えれば考えるほどに嫌になり。何かすれば良いのに何も手につかず、呆けたようになっていました。

何か勉強したらいいのに何を勉強したらいいかわからず、したいことをしたらいいのにそれは罪悪感があり、遊ぶにもどこかへ行くにもお金を使うことも憚られ何にも投資できず。夫は、なんでもやればいいんだよ、好きに過ごしたらいいよと言ってくれていたのですが、好き勝手して帰ってきたくせに結局学ぶことも稼ぐことも楽しむこともできずにただただ夫ごめん、、でした。

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子どもが生まれたらこんな自由な時間はそうそうないとわかってはいるのに、とりあえず何かしようと思っても何も楽しそうに思えない、有益に過ごさないといけないと思うあまり逆に何もできない、そんな頭でっかちで何にも集中できない日々でした。

今はイギリスにやってきて、諸々の手続きを済ませたり新居を決めたり船便受け取り手続きをしたり、出産まで2ヶ月を切り、(半ば諦めのように?)いよいよなんだなと少し気持ちも落ち着いたかもしれません。

出産後の生活は今より大変になるだろうし、とはいえ既にとても社会復帰したい焦りもあります。子育てにも働き方にもいろいろな考え方があるし、いろいろ気にしてしまうこともありますが、子ども第一であることには間違いないけれど、何より夫婦でよく話をして、お互いの合意と協力のもとにあまり惑わされずにいきたいなと思います。

これを書くまでにも随分と時間がかかりましたが、今後はもう少し気楽にこちらでの生活のことを書いていきたいです。

Efterskoleを終えた後は

Efterskoleはデンマークの高校入学前の教育に当たり、生徒は1(or2)年通いますが、卒業後の進路はそれぞれです。生徒たちはどんな学校に通いどんな高等教育ないし職業教育を経験し社会に出ていこうとするのか、この部分を観察しました。

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義務教育を終えた後は、主に下記のような進路があります。
- STX(High school普通科高校)
- HHX(Higher commercial examination、商業高校)
- HTX(Higher technical examination、工業高校)
- 職業訓練学校(電気技師、整備士、調理、木工etc…)

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STXは進路選択先としても最も多いです。Efterskole同様自由な雰囲気ですが、急に生徒が大人びて見えました。ここでも講義はあまりなく、ディスカッションやプレゼン中心の授業です。

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次にHHX。商業高校と訳しましたが、日本の商業高校とは違い、普通科目以外にファイナンスマーケティング、経済学、国際経済といった科目を履修し、模擬企業を設立してビジネスを高校生のうちから学ぶようです。国際経済の教科書を見てみるとこれがなかなか面白く、実際の企業ケースを用いて学ぶようです。いくら高校生レベルとはいえ、例えば3年間マーケティングを学ぶと結構な知識量になるのではと思います。

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上の写真は職員室です。ちなみにどんな先生が高校生にビジネスを教えるの??!と思い聞くと、とあるマーケティングとドイツ語の先生は、ドイツに1年留学経験あり、マーケティング修士号取得という経歴。日本ではこのような学歴では教師を選ばないことが多いと思います。

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HTXは理数系科目を多く学ぶ学校です。HHXと同じく、将来大学で理数系に進学したい生徒が通う学校です。今回は時間がなく授業には参加できませんでしたが、雰囲気だけ見学させてもらいました。HTXより、多少オタクな空気が…!

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HHXとHTXは、元は卒業後働くための実用的学校だったそうですが、最近は高等教育に備える特色ある学校として人気が出てきています。とはいえ、STX, HHX, HTXの間にも、その中でも、学校の優劣はなく、あくまで自分に合った学校に通います。

最後の職業学校ですが、最近選択する生徒は多くないようです。しかし、教育内容としては大変充実しており、学内にカフェやレストラン、肉屋、整備工場等々、実際の職務にすぐ役立つようなカリキュラムとなっています。ただ、あまりに志望者が減ってきているため、来年度からは卒業試験で一定以上の成績を納めないと高校には行けなくなるようにし、こちらの学生を増やすようです。

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しばしさよなら、ヨーロッパ

Efterskoleを終えた後、私に至っては、プラハに戻った後はトルコのイスタンブールまで少し駆け足で進み、ヨーロッパにも一旦さよなら。久々に一人旅でしたが、バルカン半島はよかったです。

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特にマケドニアスコピエは、経験史上1, 2を争う奇妙な街でした。銅像が町中にこれでもかというほどにありました。政府は観光を推し進めたいらしいですが、だからってこんなに銅像作るって、冗談なのか狂気の沙汰なのか、そんなところをくすぐる感じ、あまりないので久々に興奮しました。

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奇妙順だと、
No.1 Ashgabad, Turkmenistan
No.2 Skopje, Macedonia
No.3 Tokyo, Japan てとこです。

やれやれ。

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デンマークの授業風景

黒板の前の先生。インノケンティウスサンセイ、ジョヴァンニ・ボッカッチョ…呪文のように唱えられる遠い昔々のどこかの国の登場人物たち。爆睡、内職、妄想、飲食、授業妨害…古今東西、授業中に集中力を失ったことがないと言う人の方が、少ないのではないでしょうか。今回は、デンマークの授業風景について書きます。

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気楽な雰囲気、実社会での活躍を考えたカリキュラム

しかし私のいたEfterskoleでも、見学に行った小学校や高校でも、日本人が一度は経験したことがあるような一方通行な講義風景はほとんど見かけませんでした。5分程度の説明があった後に問題を解かせて先生が理解度を確認して周ったり、Q&A形式、プレゼンという、参加型ばかりでした。私が授業にお邪魔するのも、はいどうぞ〜、という感じでした。この気軽さ、フットワークの軽さは日本ではなかなか難しいのではないでしょうか。そしてこのおかげで、私たち部外者もたくさんチャレンジさせてもらい、たくさんのことに関わらせてもらうことができました。

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ある時校長先生は、「まあ、先進的と言われる教育を行ってるという自覚はあるけども、デンマークなんて人口500万人なんだから、教育実験国ってことでいいんだよ。ダメだったらやめたらいいし、いいならみんなマネしたらいいんだ」とウインクしながら言いました。

下の写真は国の統一試験の風景です。結構な姿勢ですが、足が長いのでしょうがないですね。

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パソコンとの付き合い方

教科書ではなく、オンライン記事や教師の選んだプリントなどもよく使われていました。以前書いた通り、中学生以上は授業にパソコンを常に持ち込みます。しかし、パソコンし放題なので、授業中にFacebookYouTubeを使用している子も。高校見学の際に先生から聞いた話では、「高1までは注意するけど、教師の話を聞かずに授業から学ばないのは自分の責任だよ」と伝えるそうです。パソコンを取り上げよ!という意見もあるかもしれませんが、よく考えてみれば昔でも授業中に絵を描いたり手紙交換したり携帯を見たりと、いつの世も集中しない状況はあるので、目くじら立ててもしょうがないのかもしれません。

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基本的には、こちらで最も問題とされるのは騒音などで他人の邪魔をすることで、先生によって許容基準はかなり大きく異なりますが、逆に迷惑にさえならなければ机に足を乗せていようが寝転がっていようが構わないというスタンスが多く見られました。追放の対象になるのは迷惑行為と違法行為。これをすると退学になります。

よく言えば自由ですが、厳しく見れば自己責任。その姿勢を非常によく理解することができました。私の通った地元の公立小中学校は荒れていて、いじめも授業崩壊のようなものもありました。一方で問題のある生徒の家に頻回に家庭訪問をしたり、部活に熱心な先生もいました。そんな話をしたら、日本人は大人しいんじゃなかったのか?そんなやつ退学にならないの?と同僚に言われました。

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デンマーク滞在を終えて

デンマークについてはもう少し書くつもりですが、既にデンマークの学校滞在は終えてしまいました。その後数日プラハに戻り、プラハ時代の大家のエレナさんと動物たちと平和に過ごしていました。

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ちなみにデンマークの学校の話をしたら、チェコの教育は日本よりゆるくてデンマークよりはピシッとした、中間ぐらいだそう。パソコン導入の話もあったようで、数年前に小学校で試験導入されたもののやはりよくないという判断が下り、今のところ使われていないようです。チェコは日本より物価も安く、日本の方が発展していると言えますが、旧共産時代の名残からか、医療・教育といった公共サービスは大変充実していると思います。

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久々のプラハは緑がぐーんと多くなっていて、さらに素敵さを増していることに嬉しくなるとともに時間の流れを感じました。そして道中はバルカンに飛び、東へ東へと、ぼちぼち、でも駆け足で帰り、本日フィリピンはマニラにいます。この後セブ島での語学留学を終えたオットとパラワン島というところで半年ぶりに合流し、少しゆっくりしてきます。ついにです。

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デンマーク教育にみる、全体包含手法

小難しいタイトルになりましたが、最初「共存」としてみたのですが、書いているうちに、これはどちらかというと「包含」だなと思いました。貧富、性別、身体能力、出自、職業。あらゆる人々が様々な観点でマイノリティや弱者となる可能性がありますが、これに対するこの国の取り組みも、また面白いところです。

職業的ヒエラルキーをなくせ

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私が今の学校に着いてすぐ、ここには何人先生がいますか?という質問をしたときのこと。その答えは、「先生?教科を教えるという意味なら、13人くらいだけど、私たちは教師だけでなく、キッチン・掃除・補修といったあらゆるスタッフ40人全員で生徒の教育に当たっている。キッチンスタッフが料理の授業を担当したり、生徒は1年のうち1週間授業を休んでキッチンの仕事をすることになっていて、その間はキッチンスタッフの指示を仰ぐ。清掃スタッフが寮の生活指導にあたることもある。みんなで生徒に関わるチームだから」でした。とはいえ、どうしても清掃・キッチン業務はヒエラルキーの下にあるという生徒の目もあるのは事実ですが、ヨーロッパ的なアカデミック>職人という序列を可能な限り無くしたいという姿勢が伝わってきます。

 

皆が同じ空間で勉強するには

先日小2クラスを見学したときのこと。私は窓際に座らせてもらい、授業を見学させてもらっていました。机はコの字型配置でしたが、ふと後ろを見ると、謎の席!少年が出窓にハマっている!!!

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よくよく教室を見渡すと、窓際の少年を含む4人の席はポツリポツリと離れていました。(先生の真ん前、教育の端、ついたての向こう...)

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この子たちは、診断こそないものの、学校生活上サポートが必要、とされると思われる子たちだそうで、親への相談の上このような席にいます。集中できない、他の子に高圧的な態度をとる、といったような子たちです。とはいえずっとここに固定というわけではなく、まだ小さいので、適宜席は変更し、生徒にとっての最適環境を見つけるそうです。

 

 

あらゆる生徒の受け入れは、システムにより成立する

ところで、どの学校を訪れても感じるのは、大小問題はありつつも皆落ち着いて平和だということです。Efterskoleのような私立学校ではドラッグ、いじめ等は退学対象になるそうですが、例えばアメリカの学校で聞くような、問題を起こしたら即退学!という風でもないようです。

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私が訪問した地元の0~9年生学校のすぐ隣には、養護学校が附設されていました。しかし、学校側はできる限りあらゆる生徒に家の近くの地元の公立学校に通ってもらうよう努力するそうです。素晴らしい取り組みですが、これはデンマーク人の気質や文化が優れているとか、実は単にそう美しい話だけでもありません。

通常デンマークの義務教育では皆家の近くの公立学校に進学しますが、その場合政府から学校に対し年間60,000DKK/人(100万円)の予算が与えられます。しかし、そこから学校の都合で生徒を他の学校に転学させる場合、転出先の学校に300,000DKK/人(500万円)を支払わなければなりません。これは普通学校のすぐ隣に附設されている養護学校に行かせる場合も同様で、この場合学校としては、1人の転出で生徒5人分の予算を失うことになります。Efterskoleなどを除き公教育がメインのデンマークでは、裕福だったり教育熱心な家庭の生徒もいるため、単に問題のある生徒を放置するわけにもいかず、なるべく良い形で全生徒に通ってもらえるように知恵を絞らなくてはならないのです。

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難民を社会に受け入れる工夫

また、ヨーロッパと言えば難民問題も取り上げられていますが、こちらでは難民認定されると、特に地方に居住区指定されますが、子どもたちの教育については、その地域の中でも近隣の指定教育機関に集められます。そこでは難民だけのクラスがあり、まずその中でデンマーク語を会得させ、遊びから始まり徐々にデンマーク人との生活に馴染ませるとのことです。各言語で授業をしてあげるのか?と聞くとそうではなく、子どもはそのうち覚えるから、とのこと。難民同士のつながりを持たせ、小さな環境で地元住民と関わり、社会に溶け込んでもらうのです。

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生き物は異物に対して不寛容なもの

とはいえ、デンマーク国民党(Dansk Folkeparti)という超排他的主張を持つ政治団体も一定の支持を得るデンマークデンマーク国民党 - Wikipedia

私が聞いたところでは、「あなたはデンマークを愛していますか?イエス?それならあなたも支持者です」といったわかりやすいフレーズで若者の指示も獲得しようとし、お年寄りには、移民は社会福祉を脅かす存在として必要以上に恐怖を煽っているだけなのよ、とのことでした。

www.humanityinaction.org

こうした政治政党の存在は、高福祉国家的な社会的取り組みと表裏一体なのかもしれません。