生米プロジェクト

会社退職→結婚→夫は日本に置いてヨーロッパに8ヶ月→夫と東京生活→2人でイギリスに引越し

シューマッハカレッジのプログラム

前回の記事ではシュタイナー学校についての記事を書きましたが、先週1週間はEmbercombeと関わりの深いもう一つの代表的な機関、シューマッハカレッジの学生がBecoming Indigenousというプログラムの一環でEmbercombeを訪れていました。

www.schumachercollege.org.uk

サンダンス:自然復活と和平祈願の儀式

Embercombeの創設者、Mac Macartneyは20年ほどネイティブアメリカンの師事を仰いでいるほど強い関心を持っているのですが、今回はネイティブアメリカンラコタ族の講師がやってきて、サンダンス(Sundance)という儀式をEmbercombeで行うというものでした。この講師の親子、ロレッタとリンダは1870年代に白人たちと彼らの土地を巡る争い、ブラックヒルズ戦争で戦ったラコタ族の有名な戦士を祖先に持ち、現在世界中でその文化や歴史について普及活動をしています。(ところでこの戦争、とてもアホらしい)

私は基本的にはプログラムに参加していたわけではなく、普通に働いていたので全貌を見たわけではないのですが、彼らの5日間のEmbercombe滞在は、昼間はラコタ族やネイティブアメリカン、サンダンスといった儀式についての講義を受け、真夜中にスウェット・ロッジという蒸し風呂のようなもので体を清める、ということをしていたようです。

 

そして最終日の金曜日、Embercombeのメンバーもメインの儀式、サンダンスに招待され、私もちょっと覗いてみようと思って行ってきました。

 

場所は、Embercombeにあるストーンサークル。これはEmbercombeの創設間もない頃に関わっていたネイティブアメリカンによって要求されて作ったものだそうです。Embercombeの中で神聖な場所とされていて、私たちも1週間の研修の最後の日にここを訪れ、Embercombeの中で見つけた自然のものを火にくべながら自分たちの決意を口にしました。(その後感極まり、今夜は寝袋を持って来て、みんなでここで寝よう!と寝ていたら、大雨に降られ真夜中に退散、なんてこともあったけど)

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今回のサンダンスは、ロレッタの友人であるイギリス人の友人が癌にかかり、その回復を祈念する、というものでした。火を囲み、真ん中にネイティブアメリカンの親子、癌の男性、Embercombeのマック、今回プログラムのEmbercombe側コーディネーターを務めたネイティブアメリカン文化に心酔している同期ボランティアのジョスが祈りを捧げ、その周りを私たちが囲みました。本来のサンダンスのようにピアッシングとして体を痛めつけるということはありませんでしたが、プログラムの受講者らは皆顔にフェイスペインティングを施していました。

儀式そのものは、ラコタ族の言葉で何かを唱え、何度も火にくべた薪の煙を使いながら男性への祈りを捧げるという、非常に静かなものでした。私たちにも、リンダがその煙を振りかけていました。

 

ネイティブアメリカンカルチャーをありがたがる西洋人

Embercombeには、その様々な魅力に対し、様々な目的を持って来ている人がいますが、ちなみに私はスピリチュアルなものに特別興味があるわけではありません。なので、ネイティブアメリカンの超自然的なパワーというのにも、「ふーん...(-_-)」というくらいでした。むしろ、ちょっとそういうのを崇める集団に気持ち悪さを感じていたくらいです。(日本にも、「スピリチュアル」だとか「オーラ」について書いてあるHPやパステルカラーなブログ、ありますよね。)

 

この儀式を通して感じたのは、ネイティブアメリカンの文化に対する尊敬でしたが、一方で全くの白人であるマックとジョスがわかったように祈りを捧げることには失礼ながら違和感と少しの滑稽さを覚えました。

以前にもスイス人の知り合いが、ネイティブアメリカンカルチャーを取り入れた研修?に心酔している話をしていて、怪しいな〜〜と思ったことがありました。私にはどうしてそこまで彼ら西洋人がネイティブアメリカンに惹かれるのかよくわからなかったので聞いてみたところ、あるEmbercombeの人曰く「イギリスの、そして多くのヨーロッパ文化はローマ帝国支配によって全て破壊され、本来存在していた土着の自然と人間との関わりや文化が失われてしまった。そのことから、自分たちには喪失感というものがどこかにあり、そのためによりネイティブアメリカンカルチャーのようなものに自分たちが探しているものを感じるのだろう」ということでした。

しかし結局ネイティブアメリカンカルチャーは西欧人のものではなく、彼らが完璧に理解できるものでもなく、そして彼らがそこに自らの拠り所を探しても見つからないもので、しかもそれはもうどこにもなく、ある種の哀れさも感じました。一緒に見ていた友人は「かつて征服した我々とネイティブアメリカンが抱き合う姿に感じるものがあった」と言っていましたが、自分にはない感覚です。

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そして意外にもこの一連の儀式や彼らとの滞在で感じたのは、もっと日本の文化を勉強しないとな、大事にしないとな、ということでした。

 

リンダは3月に彼女の母を亡くし、長かった髪を切ったと言っていました。

先日みんなでもののけ姫を見たことがあったのですが、アシタカが祖国から旅立つとき、黙って髪を切るシーンがあり、皆になぜ髪を切ったのだと聞かれました。こだまが出てきたときには、みんなにとってはかわいいもの、おもしろいものにしか見えなかったようで、クスクス笑っているばかりでした。森の中にいる存在として、彼らにはリアリティを持って感じることができなかったのでしょう。

彼らは食事のとき、「Spirit(魂)にあげるので小さなお皿に食事を分けてください」と言っていました。欧米人は感銘を受けていましたが、待てよ、うちのばあちゃんちにも神棚があってご飯普通に置いてたじゃないかあ、とふと思い出したり。

神棚なんて、私の記憶から遠く消え去りそうになっていましたが、改めて自分たちにもきちんと理解しておかないとな、残しておかないといけないことがあるなと思った次第です。

そういうことか、ネイティブアメリカンよ。