試写会:好きにならずにいられない
試写会のチケットをもらった。
アイスランド・デンマーク映画の「好きにならずにいられない」という作品。
ゲストスピーカーは放送作家の鈴木おさむ、たんぽぽの川村エミコ。女性限定試写会で、このポスター。ゲスト両名も、映画にちなみ、自身のイタいけれども甘い恋愛話を交えながら、映画の魅力などを語っていく。きっとイケてないおっさん(主人公:フーシフーシ)ががんばって、幸せになって、あ〜、ピュアな気持ちって大事なんだ!身の回りの冴えないけど素敵な人、いるよね☆的な内容なんだろうなと思っていた。きっと、私以外の観客も、そういう期待があったろうと思う。
しかし!!!
哀れフーシよ、最初っから最後まで、結局全っ然報われない。北欧映画にありがちな、ダークな色使い。一体いつ、バラ色画面になるのだろうと思いながら観ているうちに、エンディングとなり、同じく期待を裏切られたと思われる女性達は皆、無言で立ち去っていった…
私は、暗い映画、皮肉っぽい映画、ヨーロッパ映画、どれも好きなんだけれど、今回の作品は本当に残念だった。日本で売るためかもしれないんだけれど、こういう、あざとさのある作品展開の仕方をすることで、例えばヨーロッパ映画への足が遠のいてしまう、なんてことにならないかと思う。
ちなみに、英題は、'Virgin Mountain' -You can't avoid life forever- とある。
フーシは童貞でもあったので、このタイトルはとてもいいと思う。これを最初から見せられていたら、きっと、「ああ、人生酸いも甘いもある。甘くないね、うん、甘くないよ…」と、まあフツーの印象だったと思うのに。
タンポポの川村さん、いい人そうだったけど、ほんとにこの映画でキュンとしたんだろか。罪悪感に苛まれたりしないんだろうかと、ちょっと思ってしまった。
2枚を見比べてみてほしい。詐欺的だ。
製薬会社・医療機器メーカーで営業すると、こうなる
医者相手の仕事というのは、特に大きな病院だと、2時間廊下で待って、お目当ての先生(=顧客)がきたら、タタタター!とゴキブリの如く駆け寄って、ときに歩きながら、ときに数秒、必死こいて話すこと。MR(Medical Representative)なんていう、全国・県内・エリア内に同業他社も山ほどいる仕事をしている人たちは、狭いエリアを、例えば大学病院をひとつだけ担当して、毎日毎日医師の目に入るよう、朝の挨拶から始まってランチどきにうすら寒い微笑みを投げかけ、診療後20、21時のねぎらいの言葉をかけるまで、それこそ病院に住むようにして、医師の痒い所にてが届くような存在になって、薬を使ってもらうようにすることも多い。
これに意味を見出す医者も医者だけども、営業マンに大切にされていること、頑張っている姿勢を見せること、これは顧客の尊厳にグググと効いてくるらしい。(もちろん貴重な情報提供を受けている場合もあるけれど、それがメインであるようには見えなかった。)
最近は徐々に規制されてきて、そういう業者が立ち入っていい院内のエリアが制限されたり、アポをとらないといけない病院も増えた。当然だ。患者さんからすれば、薄暗い廊下にぴしーっと並んだ黒スーツの大群は、異様でしかない。
そんな私も新入社員の頃、田舎で医者相手の営業になった。3年働いたらやめるかな、と思っていたから、なんとなく働き始めた。そして、先輩との初営業同行。当時は、一瞬だけ初々しい新入社員だったはずだけれど、それは初日にして絶望に変わった。
夕方、車に乗せられた私は、某旧帝大大学病院の医局へ。先輩は、静かに、忍者のように歩くように言った。辺りには誰もいなかった。
先輩は、私を物陰に待たせ、「お前、ちょっと待て、俺行ってくっから!」と言ったかと思ったら、しゅぱぱぱぱと、医局の扉へ。そしてしばらくして先輩は「ごにゃごにゃごにゃ…いひひ。。えぇ、ええ…ありがとうございました!!!!」と数十秒誰かと会話して、「いや〜、よかったわ〜、今日あの先生に会えたっぺ〜〜〜〜」と、満足気に帰ってきた。
こ、これが仕事だったのか!?と、つらさ厳しさ以前に呆気にとられ、社会人として、自分はこれからこんなふうに時間を浪費し続けなければならないのかと青ざめたのを、よく覚えている。
それでも、製薬・医療業界というのはとても儲かるので、大手だと年収1,000万円を超える会社もあって、勤務医より稼いでいたりする。中堅どころの会社でも、他業種よりはまったり、収入面でも安定的に働けるのではないか。同業他社との競争が激しい、などはもちろんあるけれど、とはいえ医療業界は税金で成り立っているので守られているし、安定もしている。2時間待ちぼうけたりするのは退屈だけれど、スマホをいじったり、仲良しの同業他社の人と噂話やバカ話をしていれば、なんとなく過ぎる。転勤はよくある会社が多いと思うが、同業他社への転職も盛んだ。あまりその労働の意味や意義を考えずに楽に行きたい人には、いい仕事だと思う。
自分はもうやりたくないけれど。
ものを書くこと
ものを書くのが好きだった。
幼稚園児にして、小説家。
たくさん読み聞かせをしてもらって、たくさん本を読むようになって。
作文は、お手の物。
読書感想文は、ちょっとつまらない。
小さな頃、人間修行中のわたしと、離れて暮らす母との文通。
手紙が来るたびに、思い出して寂しくなって。
ひとりでどこでも、まさしくどこでもでかける旅人になってからは、実家にポストカードを送ることにロマンを感じるようになった。
この歩みをどこかに記しておきたいと、学生時代にブログを書いていた頃は、どこかにおもしろいことないかな、といつも考えていた。旅日記を書いては、自分の思考と感情を発見していた。
そしてそして、でもはい、おしまい。みんな、たいてい大人になると、そうだ。
風変わりな父に反発し、ニッポンの正しいカイシャインになり早数年、立派なアラサー。
私のサラリーマンの数年は瞬く間に過ぎ、いつしか自分がなにを感じ考えているのか、何が好きなのか、なんにもわからなくなってしまった。
それでも私を見ているもう1人の私は、おーい、おーい、おーい!と言っている。
書くことをやめたからか、なんなのか、わからないけれど、私はもう一度、自分の意識に気がつけたらなと思う。