生米プロジェクト

会社退職→結婚→夫は日本に置いてヨーロッパに8ヶ月→夫と東京生活→2人でイギリスに引越し

Embercombe到着!説明・研修WEEK

9月26日、ExeterのSt. Davis駅でピックアップされ、ついにEmbercombeに到着。この日は夕食を食べるだけで、特に何もなかったけれど、楽しみな気持ちと、大丈夫かなあここで生活するなんて…という気持ちが入り混じる、何とも言えない始まり。晩御飯は野菜カレーだった。今回の秋季ボランティアは、私を含め8人。イギリス人の男性3人と女性3人、デンマーク人の女性1人に日本人の私。日本人は、私の前に6人ほど来たことがあるらしい。

この週は毎日たくさんの研修があった。印象的だったのは、あらゆる分野の説明をそれぞれの責任者から受けたのだけれど、そのどれもが非常に概念的なものだったことだ。キッチン、清掃、庭仕事といった実用的なもののやり方ももちろん教えてもらったけれど、多くの時間が、Embercombeが、またはその責任者が、その仕事がなぜ存在し、どういうものであるかを語られるのに使われた。

創設者のMac Macartneyとも話す時間があり、なぜEmbercombeに来たのかをそれぞれ語り、それに対し彼がそれをEmbercombeに結びつける形で語りかけ、、夢の中にいるようだった。

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Embercombe - 人を育てるコミュニティ -

時系列で書きたいことがたくさんあるけれど、今体験していることをどうにか記録しておきたいので、次々書いていきたい。

9月24日、成田を発ってモスクワ経由、ロンドンに着きました。ロンドンで働いている友人のところに泊めてもらい、ハンガリーの医学部に通う友人と、ミニ大学同窓会。みんなそれぞれ頑張ってて、卒業して6年も経つと少しずつ歩む道も違うけど、やっぱり変わらない。

友人には、結婚祝いに本をもらいました。トマス・モアのユートピア!これは、、かなりロンドンらしいというか、、

ユートピアな家庭にしろよ、ということなのか、理想の最小共同体(=家庭)とは何なのかを考えてみよう。(あともう1冊はヴァージニア・ウルフとキャンプの本。装飾もなかなかいい)

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ロンドンは2泊だけして、そこからさらに2時間半、ExeterにあるEmbercombeという団体で3ヶ月ボランティアをすることになった。

embercombe.org

人を育てるコミュニティ、だそうで、簡単に説明するのは難しいけれど、できるだけ自分たちの中で生活をサステナブルに循環させ、人間が生きていく上で必要なシンプルなことに触れながら生活し、深めていくという感じでしょうか。

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単に農業や調理、清掃の仕事をするというよりは、他人と話したり自分と向き合う時間がとても多く、ボランティアと言いつつある種修行のよう。宗教色やスピリチュアルなところはないが、この不思議な環境にはカトリック的な思想やアプローチに影響を受けているように感じる。

主にボランティアが中心となってこちらで生活し、この環境には外部からも随時大人から子どもまで、期間やバックグラウンドを問わず訪問者がいますが、普通の労働ボランティアの人もいれば、ビジネス研修的なプログラムへの参加者も。

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私が来たのはこの中でもざっくり規格化された3ヶ月のもので、同期とともに今週1週間は導入研修。日々様々な問いかけがあり、単なる労働というよりはほとんど強制されるものはないのに修行のようで、重たい。

ここでは無給だが、各種作業に1日7.5時間従事することで、食事と住居が提供される。(とはいえ集会や食事、休憩の時間を考えると実労働は5時間ぐらい)

ちなみに今の住居はゲル(モンゴルのあれ。笑)。

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が、かと思えばこちらの農園の運営のではトヨタの経営手法も参考にしているそうで、「かんばん方式」や「Muda(無駄)を省く」といった言葉も出てきたりと、いろんなものが混在していてなかなかおもしろい。

今後の生活がどうなっていくか、自分が何を感じるのか私もわかりませんが、この先3ヶ月、ゆっくり時間を過ごしてみたい。

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退職届の提出

金曜日、上司に退職したいと言って、昨日ついに、退職届を提出しました。

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青年海外協力隊に行くために休職しようとしていたけど、行かないことにした、2013年。これからどうしようかと考えていたある日、「じゃ、大阪に異動して。あなた地元だし、いいでしょ」と内示を出した上司に向かって、それなら辞めるとその場で言って、代わりに東京で今の部署に行かせてもらってから、3年経とうとしています。

ここ1年ほど、このままじゃダメだ、何かしたい、でも何をしようかと思い、転職・起業・進学等々考え続け、トライしていましたが、とりあえずあまり何も決めずにやめることになりました。

春に受験した、とあるヨーロッパの学校の試験のとき。みんなすごいパワーに溢れていて、心から楽しそうで、こんな感覚は久々だ!とにかく今の環境から一刻も早く脱しないと!と思ったのでした。

 

なので今は不安というよりも、ホッとした、やっと進むことができた自分に安心した、そんな気分です。安定した大企業を去ろうというのに、不思議なもんです。

 

 

試写会:好きにならずにいられない

試写会のチケットをもらった。

アイスランドデンマーク映画の「好きにならずにいられない」という作品。

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ゲストスピーカーは放送作家鈴木おさむ、たんぽぽの川村エミコ。女性限定試写会で、このポスター。ゲスト両名も、映画にちなみ、自身のイタいけれども甘い恋愛話を交えながら、映画の魅力などを語っていく。きっとイケてないおっさん(主人公:フーシフーシ)ががんばって、幸せになって、あ〜、ピュアな気持ちって大事なんだ!身の回りの冴えないけど素敵な人、いるよね☆的な内容なんだろうなと思っていた。きっと、私以外の観客も、そういう期待があったろうと思う。

 

しかし!!!

 

哀れフーシよ、最初っから最後まで、結局全っ然報われない。北欧映画にありがちな、ダークな色使い。一体いつ、バラ色画面になるのだろうと思いながら観ているうちに、エンディングとなり、同じく期待を裏切られたと思われる女性達は皆、無言で立ち去っていった…

 

私は、暗い映画、皮肉っぽい映画、ヨーロッパ映画、どれも好きなんだけれど、今回の作品は本当に残念だった。日本で売るためかもしれないんだけれど、こういう、あざとさのある作品展開の仕方をすることで、例えばヨーロッパ映画への足が遠のいてしまう、なんてことにならないかと思う。

 

ちなみに、英題は、'Virgin Mountain' -You can't avoid life forever- とある。

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フーシは童貞でもあったので、このタイトルはとてもいいと思う。これを最初から見せられていたら、きっと、「ああ、人生酸いも甘いもある。甘くないね、うん、甘くないよ…」と、まあフツーの印象だったと思うのに。

タンポポの川村さん、いい人そうだったけど、ほんとにこの映画でキュンとしたんだろか。罪悪感に苛まれたりしないんだろうかと、ちょっと思ってしまった。

 

2枚を見比べてみてほしい。詐欺的だ。

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製薬会社・医療機器メーカーで営業すると、こうなる

医者相手の仕事というのは、特に大きな病院だと、2時間廊下で待って、お目当ての先生(=顧客)がきたら、タタタター!とゴキブリの如く駆け寄って、ときに歩きながら、ときに数秒、必死こいて話すこと。MR(Medical Representative)なんていう、全国・県内・エリア内に同業他社も山ほどいる仕事をしている人たちは、狭いエリアを、例えば大学病院をひとつだけ担当して、毎日毎日医師の目に入るよう、朝の挨拶から始まってランチどきにうすら寒い微笑みを投げかけ、診療後20、21時のねぎらいの言葉をかけるまで、それこそ病院に住むようにして、医師の痒い所にてが届くような存在になって、薬を使ってもらうようにすることも多い。

これに意味を見出す医者も医者だけども、営業マンに大切にされていること、頑張っている姿勢を見せること、これは顧客の尊厳にグググと効いてくるらしい。(もちろん貴重な情報提供を受けている場合もあるけれど、それがメインであるようには見えなかった。)

最近は徐々に規制されてきて、そういう業者が立ち入っていい院内のエリアが制限されたり、アポをとらないといけない病院も増えた。当然だ。患者さんからすれば、薄暗い廊下にぴしーっと並んだ黒スーツの大群は、異様でしかない。

 

そんな私も新入社員の頃、田舎で医者相手の営業になった。3年働いたらやめるかな、と思っていたから、なんとなく働き始めた。そして、先輩との初営業同行。当時は、一瞬だけ初々しい新入社員だったはずだけれど、それは初日にして絶望に変わった。

夕方、車に乗せられた私は、某旧帝大大学病院の医局へ。先輩は、静かに、忍者のように歩くように言った。辺りには誰もいなかった。

先輩は、私を物陰に待たせ、「お前、ちょっと待て、俺行ってくっから!」と言ったかと思ったら、しゅぱぱぱぱと、医局の扉へ。そしてしばらくして先輩は「ごにゃごにゃごにゃ…いひひ。。えぇ、ええ…ありがとうございました!!!!」と数十秒誰かと会話して、「いや〜、よかったわ〜、今日あの先生に会えたっぺ〜〜〜〜」と、満足気に帰ってきた。

こ、これが仕事だったのか!?と、つらさ厳しさ以前に呆気にとられ、社会人として、自分はこれからこんなふうに時間を浪費し続けなければならないのかと青ざめたのを、よく覚えている。

 

それでも、製薬・医療業界というのはとても儲かるので、大手だと年収1,000万円を超える会社もあって、勤務医より稼いでいたりする。中堅どころの会社でも、他業種よりはまったり、収入面でも安定的に働けるのではないか。同業他社との競争が激しい、などはもちろんあるけれど、とはいえ医療業界は税金で成り立っているので守られているし、安定もしている。2時間待ちぼうけたりするのは退屈だけれど、スマホをいじったり、仲良しの同業他社の人と噂話やバカ話をしていれば、なんとなく過ぎる。転勤はよくある会社が多いと思うが、同業他社への転職も盛んだ。あまりその労働の意味や意義を考えずに楽に行きたい人には、いい仕事だと思う。

自分はもうやりたくないけれど。

ものを書くこと

ものを書くのが好きだった。


幼稚園児にして、小説家。

たくさん読み聞かせをしてもらって、たくさん本を読むようになって。


作文は、お手の物。

読書感想文は、ちょっとつまらない。


小さな頃、人間修行中のわたしと、離れて暮らす母との文通。

手紙が来るたびに、思い出して寂しくなって。


ひとりでどこでも、まさしくどこでもでかける旅人になってからは、実家にポストカードを送ることにロマンを感じるようになった。


この歩みをどこかに記しておきたいと、学生時代にブログを書いていた頃は、どこかにおもしろいことないかな、といつも考えていた。旅日記を書いては、自分の思考と感情を発見していた。


そしてそして、でもはい、おしまい。みんな、たいてい大人になると、そうだ。


風変わりな父に反発し、ニッポンの正しいカイシャインになり早数年、立派なアラサー。


私のサラリーマンの数年は瞬く間に過ぎ、いつしか自分がなにを感じ考えているのか、何が好きなのか、なんにもわからなくなってしまった。


それでも私を見ているもう1人の私は、おーい、おーい、おーい!と言っている。


書くことをやめたからか、なんなのか、わからないけれど、私はもう一度、自分の意識に気がつけたらなと思う。


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